久々には訳がある
~目次~
~はじめに~
久々の投稿になりますね…一年も書いてませんでしたね…
まぁ、これには訳があるんだがな…
実は…投稿をしていなかったこの一年の間に
我が子が亡くなりました
~我が子が亡くなった~
出だしから重い書き出しになってしまいましたが、僕達には二人の息子がおります。
6歳と4歳の男の子なのですが、まぁ簡単に述べてもアイドル級に可愛くて可愛くてそんじょそこらの子ども達とは訳が…
おぃ、ナレーション部分で暴走するな
し、しまったつい癖で…
そんな僕達の間に、ありがたい事に第三子を授かりました。
まだ授かったと分かった頃はお寺が行事で忙しい時で、その時は二人の息子達の様に、当たり前に産まれてくると思っていました。
しかし行事が終わった後に検査に行くと、先生にこう言われました。
「心臓が止まってる」と。
まだ安定期に入る前だったが、現代では10~15%くらいの確率で、産まれて来れないくらい体が弱い子ができる事を先生が教えてくれました。
これを聞いたからと言って我が子が亡くなった事をすんなり受け入れれるものではありません。が、少しだけ悲しさが和らいだのも事実です。何故でしょうね…
私のせいでと考えてしまう事もありました
お互いに塞ぎ込んでしまったよね…
お骨が貰えなかった
私の職業病かもしれませんが、先生にお骨を貰えるか聞きました。
せめてこの子が「いた」という証でも残せないかなと
先生からは
「それは出来ない」
と言われました。せめてもと思いましたが、子どもが小さすぎたんでしょうか…
そこで気づけたのですが、人が亡くなってもお骨があるという事は当たり前では無いし、ある事も喜びなのかもしれないな、と。
今まで亡くなった方のお骨をどうしようかという相談をよく受けておりましたが、邪魔でどうにかしたいという印象が多かったです。そう思う気持ちも分かりますが、今一度考えてみて下さい。それで良いのか、と。
人が亡くなると思い出とお骨しか残らないから
思い出やお骨が残るのはとても大切な事なんだよ
~最後に~
今でも妻も私も、外出先で小さい子どもの天使の様な泣き声が聞こえると、第三子が産まれていたらこんな風だったのかな、と感じる事もしばしばあります。と同時に、自ら命を絶ってしまうニュースを見ると泣けてきてしまいます。
どうか皆さんも、今ある命についてよく考えてみて下さい。
生きたくても生きれない命
生きたくなくて生きない命
生きたく無くても生きている命
生きたくて生きている命
様々ありますが、全て一度きりの命です。
このブログを見て、命について考えて貰えたらなと思います。